林 ひろゆきのホームページ「邪馬台国と倭の五王」

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1.邪馬台国所在地の特定「邪馬台国と古代天皇の謎を解く」

所在地を特定するには、まず奴国の場所を特定します。

1. AD50年頃の倭

狗邪韓国から奴国までの奴国の支配地域

狗邪韓国から奴国までの奴国の支配地域

(倭人伝)

  • 奴国は倭の極南
  • 男はみな刺青をしている
  • 太伯の後裔と称す
  • 漢委奴国王の印を賜る

2. 3世紀前半の邪馬台国(卑弥呼の時代の倭)

四国及び南九州沿岸と制圧した奴国の支配地域

四国及び南九州沿岸と制圧した奴国の支配地域

  • 邪馬台国(後漢書)
    文字なし、牛馬いない、丹がとれる、高地にあり四面海の島国で東に海を渡り千余里で狗奴国があり不仲、伊都国に一大卒を置く
  • 奴国を併合、半島と関る。

3. 投馬国より南至水行10日の謎

投馬国へは、北へ戻っているが東へ行ったと思ったのではないか。
そうすると90度違うので、女王国(東)が南至となる。
女王国の境界を記した個所は、北ではなく、西となり、帰り道の四国から南九州沿岸の奴国までの国々となる、
又、南の狗奴国は東となり、魏志倭人伝と後漢書の矛盾が解消する。

4. 4世紀前半、神武の父(ヒコサ)の時代の邪馬台国

  • ツクシノクニを制圧、都を筑紫に移す、神武は筑紫より東征、
    イズモを制圧し、カシハラのタケヒトを討ち全国を統治する。
    (ツクシを制圧後は、関門海峡を通る)
  • ナガスネヒコをタケヒトが討ち、タケヒトは神武が討つ

ここに掲載する内容は、林 ひろゆき(個人)の仮説です。